行動経済学で考える年金改革の是非

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米国では米ハーバード大学のブリジット・マドリアン教授らや米シカゴ大学のリチャード・セイラー教授らによる行動経済学の研究成果を年金保護法に採用してきました。行動経済学が年金制度にどのように貢献していたかを考察しています。

お客を「虜」にするための3つの秘訣: 活用してみたい「習慣化」の法則 

(2014年に日経ビジネスに書いた文章が見つかりました)

あなたは今朝起きてから何分以内に携帯電話をチェックしただろうか? お気に入りのアプリは一日何回開くだろうか? 一日に何回携帯電話をチェックするだろうか?

アメリカの市場調査会社IDCが昨年3月に18歳から44歳の7446人を対象に行った調査の結果によると、79%の人が起きて15分以内に携帯電話をチェックする。そして一人あたり一日平均13.8回Facebookを見る。2013年5月29日のアメリカABCニュースの記事では、一日平均150回携帯電話を使っていることが報告されている。私たちの多くが、自覚しているよりもはるかに頻繁に携帯電話にさわり、携帯電話のアプリを起動しているようだ。

ヘルシンキ情報テクノロジー研究所のアンティ・オウラスビルタ研究員らは、携帯電話とコンピューターを使用する時の行動の違いを分析し、携帯電話は常時持ち歩いていてどこでもすぐに立ち上げることができるため、コンピューターよりも習慣性が高いことを報告している。ニュースなどの情報、ソーシャルメディアを通じた友人との交流、メールを今すぐ確認したいなどの欲求が即時に満たされることで満足感が得られ、使用頻度はさらに高まり、携帯電話使用の習慣化がますます強化されると説明している。

行動が習慣化すると脳の処理部位が変わる

デューク研究所のヘンリー・イン助教授と米カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のバーバラ・ノウルトン教授の論文によると、何度も繰り返された行動が習慣化される時、大脳基底核が関与することが分かっている。また、理研脳科学総合研究センターの田中啓治チームリーダーらがサイエンスに発表した研究では、経験を重ねたプロ棋士が無意識に次の一手を選ぶ時、習慣的な行動を担うといわれる大脳基底核の尾状核を通る神経回路が使われていることが明らかになった。アマチュアの棋士にはそのような脳の活動は観察されなかった。しかしながら、将棋の経験がない人達に4ヶ月の将棋の集中訓練を行った結果、プロ棋士と同じような脳の活動が観察されるようになった。訓練中に何度も繰り返された行動が次第に無意識行われるようになりその行動が習慣化すると、行動を担う脳の部位まで変わるとは驚きだ。

では、何度も繰り返された行動が習慣化するにはどれくらいの期間がかかるのだろうか? ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンのフィリッパ・ラリー研究員らは、繰り返された行動が習慣化するのにどれくらいの期間がかかるのかを実験して調べた。研究の結果、フルーツを食べるなど、努力レベルが低い行動が習慣化するのには数週間しかかからないが、ジムに行くなどといった努力レベルの高い行動が習慣化するのには長い期間を要することが分かった。

またユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの大学院生ガビー・ジュダー氏らによる別の研究では、繰り返しの頻度が高いほど習慣化までの期間が短くなることが明らかになった。どうやら、行動の習慣化には何らかの法則性がありそうである。

私たちが1日何度もチェックする携帯のアプリを開発する人達にとっては、どのようなプロセスでアプリの利用が習慣化されるかを知ることはとりわけ重要だ。アメリカのコンサルタント会社ローカリティックスの調査によると、ダウンロードされたアプリのうち26%が一回しか開かれないという。それを解決するヒントが、先に紹介したユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの研究結果だ。すなわち、ハードルを下げて小さい努力レベルでも使えるようにし、使用頻度を増やさせることによって習慣化を早めることが重要であることを示唆している。

アプリの開発を成功させるにはユーザーの行動を深く理解する必要があるため、長年人々の行動心理を研究対象としてきた行動経済学は、アプリ開発者の間でも人気を呼んでいる。米スタンフォード大学経営大学院を卒業し、同校で教鞭もとったことがある起業家のニール・エヤール氏は、ユーザーの習慣形成に関する本『Hooked』を出版した。習慣形成についての行動経済学、脳科学、心理学の既存の研究結果をまとめ、さらに自らの経験から得られた見地を取り入れている。現在アメリカのアマゾンの消費者行動の部門で売り上げ2位(キンドル版は1位)の人気の本となっている。

エヤール氏は、サービスの利用が習慣化すると、ユーザーは値段が上昇したり課金されたりしても他のサービスに乗り換えないことを指摘し、無料のゲーム、キャンディクラッシュ・サーガのユーザーの多くがゲームを続けるために課金のサービスに移行する行動を、その例として挙げている。

しかしながら、ビジネスに携わる人々が現場で実感するように、有料のサービスへの移行は必ずしもすぐにおきるわけではない。例えばエバーノートの場合、使用し始めて1ヶ月後に有料サービスに移行しているのはわずか0.5%であり、33ヶ月後までに有料サービスに移行しているのは11%、42ヶ月後までに有料サービスに移行するのは26%に過ぎない。もちろんその間にサービスを使わなくなるユーザーもたくさんいる。キャンディクラッシュ・サーガのようなゲームと違ってエバーノートの使用には中毒性がないため、有料のサービスへの移行が遅いと考えられる。

また、似たサービスが既に存在している場合は、そのサービスを長く利用して習慣化してしまったユーザーを自社のサービスにスイッチさせるのは大変困難だ。マイクロソフトの検索エンジンビング(Bing)のユーザーが増えないのは、グーグルの使用が習慣化し無意識かつ自動的にグーグルを使う人が多いからだと言われている。このような現状維持の傾向を行動経済学では「現状執着型偏見」(status quo heuristics)と呼んでいる。一方、サービスの利用が習慣化して現状執着型偏見が生まれている場合には、それをうまく活用することも可能である。

既に顧客が習慣的に自社サービスを使用している場合には、ライバルの存在が利益向上に貢献することすらある。アマゾンは、自社のサイトに他社のショッピングサイトの広告や価格を載せるが、その情報を提供することによってかえってユーザーのアマゾンへの信頼が高まり、売り上げが向上するという効果がもたらされている。

カナダのダルハウシー大学のバレリー・タリフツ准教授とアルベルタ大学のジェラルド・ハウブル教授が行った実験でも、ライバル会社の広告をサイトに掲載することで自社サイトの信頼度が向上するという研究結果が得られている。

満足感を高めて習慣化させる3つの条件

以上のように、ユーザーを獲得しサービスの利用を習慣化させるためには、ユーザーの複雑な心理を理解し満足度を向上させることがとても重要になる。エヤール氏は、ユーザーの満足感を高めて習慣化を実現させるために、1)社会的なリターン、2)追求の喜び、3)個人的な達成感の3つの満足感の実現を提唱している。

「社会的なリターン」は、他人に認められたり、受け入れられたり、重要な人物だと思われることで達成される。フェイスブックの「いいね!」ボタンとコメントがその例だ。「いいね!」やコメントをたくさんもらうとまたフェイスブックに書き込みたくなる、という心理的なメカニズムが働き、頻繁に書き込むようになる。

2番目の「追求の喜び」は、新しい情報がどんどん入ってくることや情報収集することによって得られる興奮だ。エヤール氏は、ツイッターやピンタレストの人気の秘密は、この「追求の喜び」にあると説明する。最近ニュースアプリが人気だが、ニュースという新しい刺激に興奮感を覚え、その中から自分の興味がある情報を選び出して読むことで満足度を得るのではないかと思われる。

最後の個人的な達成感は、目的を達成することなどで得られるが、ゲームアプリなどではとくに重要な動機付けになると考えられる。

エヤール氏は、金銭的な見返りがない方がこれらの満足度が高い傾向にあることを指摘している。質問に答えた人に報酬を提供する質問サイトは失敗に終わったのに、回答者に報酬を提供しない質問サイトが成功したのは、金銭的な見返りがない方がユーザーの満足度・達成感が高いという心理的な理由からだと説明する。

 では、この見返りを必要としない「個人的な達成感」の源泉は、一体何なのだろうか? 行動経済学では、それについても数多くの研究を重ねている。人が金銭的な報酬がないのに献血をしたりボランティア活動に従事したりするのは、誰かの役に立ちたいという「純粋な善意や他愛心」からなのか、それとも自分が「社会に認められる喜び」に起因しているのか、を追求してきた。

上記の質問サイトでの回答行動、そしてアマゾンや映画レンタルのサイトなどでのレビュー行動では、どちらの動機も行動の理由になり得るし、金銭的な見返りがないことに意味があるのは、どちらの動機にも当てはまると考えられる。

時間をかけさせて生む「イケア効果」

サービスの利用が習慣化する過程で、人々はしばしばそのサービスに対して時間やお金の投資をするが、それがサービスを辞められない原因となることが多い。例えば質問サイトでの回答や商品のレビューのような活動に貴重な時間を使うと、そのサービスに対する愛着が生まれる。ハーバード大学のマイケル・ノートン教授、デューク大学のダン・アリエリ教授らはこれを「イケア効果」と呼ぶ。イケアの家具は自分で組み立てなければならないが、組み立て作業に時間を投資したことによってイケアの家具への愛着が増すという理由からだ。

その文脈で考えると、アプリやオンラインサービスに対する時間投資は、イケアの家具の組み立てよりもはるかに愛着感を高め、辞めるのを困難にする。例えば、ツイッターでフォロワーを増やしたり、フェイスブックで友人を探すのには時間の投資が必要である。多くのフォロワーがいるツイッターのアカウントや多数の友達とつながっているファイスブックをやめて他のソーシャルネットワークサービスに移行する場合、また一から友人やフォロワーを集めなければなりないというコストが発生する。つまり、時間を投資すればするほど、そのサービスを辞めたり別のサービスにスイッチする際の心理的コストが上昇するのである。

質問サイトではしばしば良い回答に対して点数がついたり、ベスト回答者のランキングが公表されたりするが、点数やランキングの表示は、個人的な達成感を実現するために有効であるだけではなく、点数やランキングの存在がサービスを辞めたくない理由になり、そのサービスを使い続ける主な動機にさえなり得る。

最近ニュースアプリの人気が出ていくつものニュースアプリが発表されているが、筆者はその中でもNewsPicksに注目している。エヤール氏が提案する達成感のメカニズムの多くを抑えるデザインになっているからだ。NewsPicksは単に集めたニュースを表示するだけではなく、ユーザーが自ら興味のあるニュースを集めてきて紹介することができるアプリだ。

ユーザーはニュースに対してコメントを書き込むことができ、他のユーザーのコメントに対して「いいね!」ができる仕組みになっていて、エヤール氏が提唱する「追求の喜び」と「社会的リターン」の両方が実現されるデザインになっている。しかも、ユーザーの中には著名人が多いので、社会的なリターンはより高くなる。

コメントをしたユーザーへの報酬はないが、それこそがNewsPicksが著名人も惹き付けてユーザー獲得に成功した理由かと思われる。NewsPicksでは、1週間で得られた「いいね!」の数に基づいてユーザーのランキングが公表されている。ユーザーランキングに載ることでさらに個人的な達成感が実現でき、アプリの使用回数が増え、その結果アプリの利用が習慣化し、辞めるのが困難になるという仕組みだ。筆者も多忙な中でもこまめにNewsPicksを利用した結果、利用が習慣化したユーザーの一人だ。

NewsPicksのアプリのデザインは、行動経済学の視点から見て大変よくできている。NewsPicksは昨年9月に無料版がリリースされ、今年の2月から有料サービスも開始した。無料版だけだった期間に多くのユーザーがNewsPicksを頻繁に利用しすでにアプリの使用が習慣化した後、有料サービスを開始するというのは、極めてよく計算されたリリースの方法だと考える。行動の習慣化を研究課題としている行動経済学者にとってアプリのデザインはとても興味深い研究課題であり、行動経済学にはアプリのデザインに貢献できる研究の蓄積がある。米ワシントンDCでは、アプリのデザイナーと行動経済学者の合同勉強会が毎月開かれているが、日本でもそのような勉強会がはじまれば、双方に利益がある議論やコラボレーションが展開するのではないかと思う。

参考文献

  • Eyal, N., R. Hoover (2013). “Hooked: How to Build Habit-Forming Products” Amazon Digital Services, Inc.
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  • Norton, M.I., D. Mochon, D. Ariely (2012). “The IKEA Effect: When Labor Leads to Love”. Journal of Consumer Psychology 22(3): 453–460.
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  • Yin, H.H., B.J. Knowlton (2006). “The Role of the Basal Ganglia in Habit Formation”. Nature Reviews Neuroscience 7:464-476.

給料や業績の公開によって生産性は高まるのか?

先日The Bridgeで『給与を公開して企業運営の透明性を高める「オープン・サラリー」という考え方』という記事が掲載され、アメリカで「オープン・サラリー」制度を導入し、給与を公開して透明性を高め信頼感やチームワークに役立てようとしている会社が増えていることが報告された。

同僚の給料を知ることが仕事に対する態度にどのような影響を与えるのだろうか?本当に仕事に対するやる気が出るのだろうか?

カリフォルニア州は、2008年3月に全ての州職員の給料をインターネット上で公開し始めた。米カリフォルニア大学バークレー校のデビッド・カード教授らは、カリフォルニア州の州立大学の職員の一部に給料公開サイトのリンクをメールで送って知らせ、その3—10日後、給料公開サイトのリンクをメールで受け取った職員と受け取らなかった職員の両方に対してアンケート調査を行った(論文のリンク)。アンケート調査の結果によると、給料公開サイトのリンクをメールで受け取らなかった職員についても、すでに19.2%が給料公開サイトを閲覧していた。そして、メールを受け取った職員のうち49.4%が、アンケート調査に答える前にそのサイトを見に行っていた。

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